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2014年11月06日
サッカーノート

自分がサッカーをやっている時はやったことがありませんでしたが、ヒューゴ(7歳)がサッカーノートをつけていくことになりました。
原点はココですが、サッカーの練習でやれたこと、うまく行かなかったこと、自分の課題など自由に好きに書いていくそうです。
今のところはやる気があるので、息子と正面から向き合っていけたらと思います。
2014年11月06日
ありがとう マリヤン・プシュニク

マリヤン プシュニク監督 退任のお知らせ
プロは結果が全てなので、クラブが下した判断は正直仕方ない。
確かに、外から見ていてもチームの求心力が下がっているように見えたし、選手たちとの溝は深くなっていたのかもしれない。
ただ一つ言えることは、健志や勇太などの若い選手を積極的に起用して、若い選手たちが大きく成長できたのは彼の最大の功績だと思う。
正直言えば、就任1年目のマリヤンが目指したサッカーの完成形が見たかった。
2年目に入り、勝利していかないとチーム内の士気も低下してしまうことから、やりたいサッカーが方向転換してしまったのはサポーターとしても残念だった。
マリヤンは本当に先生のような監督だった。
自分もマリヤンとよく議論した。思っていることは正直に意見をぶつけ、彼は正面から受け止めてくれた。
マリヤンの性格というかやり方は、すぐに答えを言わない。けど話の中に色んなヒントが落ちていた。
そのヒントを拾って、自分の頭で考えて自分で答えを見つけ出せば、この人はこんなことを伝えたかったんだなと思うことがよくあった。そして距離も縮まっていった。
ただ、マリヤンの答えが見つけれない時は大きな誤解を生んでしまう危険性もあった。
彼独特の気性の荒い性格は、時には誤解を生みやすい。周囲も萎縮してしまうことも多くあったと思う。
自分は、その穴埋めやフォローをする役割の人たちがコーチングスタッフ陣だと思っていたけど、スロベニア人の監督が一人孤立していたように見えた。
マリヤンは一人で福岡に来た。
コーチ陣にマリヤンが連れて来た信頼できるコーチがもしいたら、選手との間に入り、両者をしっかりと助けれてもう少し違うチームになっていたのかもしれない。
就任2年目、プレーオフ圏内が見えていたところで、主力だった石津の移籍、金森の代表離脱、坂田の怪我での離脱、選手層が薄く、アンラッキーだったとしかいいようがない。
ジュビロと互角以上に戦えていたわけだから、どこが相手でも戦えるチームだっただけに、十分な戦力を維持出来なかったのは残念で仕方が無い。
就任前の失意のどん底のシーズンから、大きな希望を与えてくれて、いつもサポーターの気持ちを背負って戦ってくれた監督に心から感謝しています。
彼はピッチ内ではサムライでピッチの外では紳士。
そして哲学を持っていて、経営のこと、クラブ全体のこと、福岡の町のことを真剣に考え、大きなビジョンがあり、非常にスケールの大きな監督でした。
心残りは少し。
勝たなければいけないオーダーだった中で、若手1年目の光永が成長するチャンスが少なかった。
だから、ミツは次の監督の下で大きく成長した姿をマリヤンに見せて欲しいと思います。
高校生の崎村と冨安がプロになって、マリヤンの直接指導を見たかった。
今回の成績で、監督と強化部長が責任を取らされる形となった。
みんな分かっていると思うけど、監督や強化部長の責任だけではないと選手もサポーターも感じているはず。
やるのは選手。
プロであるのであれば、人のせいにせずにやるのみ。
マリヤン、2年間本当にありがとう。
サポーターにとっても特別な監督です。
最後に一言。
新聞報道で、次期監督候補の名前とかもリストアップされているけど、まずは強化責任者(GM・強化部長)を決めて、その人のプランで主導するべき。
アビスパは何回この過ちを繰り返すのか。。。