2008年03月03日
アビスパ福岡U-12ラストゲーム。優勝して解散



博多の森球技場からレベスタに名前が変更して初の公式戦がこのゲーム。
アビスパ福岡U-12というチームにとっても、この6年生にとってもこのチームでやるのは泣いても笑っても最後の試合。
その舞台が、青々とした芝生が広がり、【レベスタ】に名前が変わったばかりで、いままで様々なドラマを生み出してきた聖地La博多の森。
ラストゲームにとっては、最高の舞台だった。
自分自身はこのチームの試合を見たことはほとんどなかったけど、試合前の子供たち全員に「君たちはそのエンブレムをつけている以上はこのスタジアムで絶対に負けてはいけない」と声を掛けて送り出した。
気が付いたらオブリの仲間も来ていて、ULTRA OBRIの幕もデコレーションされ、子供たちにとってラストゲームとして最高の雰囲気になっていたと思う。
ラストゲームの試合前の円陣は、かなり気合が入っていた。



試合は、決勝戦にふさわしい試合内容だった。
アビスパU-12が先制すると、相手チームもコーナーから合わせてすぐさま同点という展開。
とにかく、相手チームのストリートも絶対に負けたくないという気持ちを前面に出して、最後まで白熱した試合内容だった。
前半アビスパU-12が追加点を入れると、後半はヨッシーこと義紀が良い状況判断をしてのドリブルから前線へ絶妙なスルーパスを出して、前線の選手が左足で素晴らしいシュートを決めて3-1で優勝した。
最後まで諦めず善戦したストリートを称えるとともに、聖地博多の森で絶対に負けたくない気持ちをだして戦ったアビスパU-12は、素晴らしいラストゲームで小学校のサッカー生活を締め括れたと思う。
そしてこの瞬間に、アビスパ福岡U-12チームが解散と共に、このカテゴリーのチーム存続が消滅となった。
しかし、それにしてもアビスパ福岡のU-12のカテゴリーが消滅してしまうのは、非常に無念です。
先日の会議でも田部GMに、昨年の全日本少年サッカー大会の決勝のカードが鹿島ジュニアvs東京Vジュニアの対決だったことを例を挙げて、チームの存続を強く嘆願した。
田部GMの回答も、以前書いたこともあった『他の少年サッカークラブと指導者等との摩擦』と、このJリーグの下部組織のジュニアのカテゴリーからプロ選手になった確立はかなり低いというデーターのことを言われた。
他の少年サッカークラブとの摩擦の例としては、他チームでせっかくうまくなって成長した選手が、アビスパジュニアのセレクションを受けて、選手を取られてしまった意識や地域の中で圧倒的にアビスパジュニアが強くなり過ぎた事例を聞いたことがある。
だから他のチームと摩擦を起こしたりバランスを崩しながら存続させるよりは、ジュニアユース(中学生)の部門からいい選手を吸い上げた方がいいというアビスパ側の方向転換だった。
田部GMは、フランスのグルノーブルとかでGMをやった経験があったので、このカテゴリー廃止の見直しを正直期待していた。
しかし、決定事項は覆ることなく廃止ということになったのは非常に残念だった。
ヨーロッパ等でバルサとかのプロのジュニアチームもいろいろと見てきていた自分とは考え方が少し違ったかな。
やはり、プロであれアマチュアであれ、アビスパのエンブレムをつけているのであれば、本来はどこにでも応援に駆けつけたい。
しかも、今日はトップチームが大分でPSMを戦っている日でもあった。けど、自分にとってのこの日は重要だった。
Jリーグの理念もそうだけど、アビスパ福岡がヨーロッパ型の総合スポーツクラブに近づいていくのは、もう少し時間が掛かるかなと思った。
我々はサポーターであり、アビスパ福岡というクラブの会員という意識でソシオカードを持って生活できる日を夢見ていたい。

話を戻して、こちらの写真の慎之介(左)とヨッシー(右)、小学校のサッカー生活お疲れ様。
このカテゴリーの最後のチームでエンブレムをつけていたことを誇りに思って、今後のサッカー生活での経験に活かして欲しい。
Posted by KEIGO YAMAMAOTO at 12:27
│アビスパ福岡