2010年01月16日
マルのオヤジさん
闘病生活を送っていたマルのオヤジさんが、一昨日息を引き取った。
La博多の森A席の名物オヤジだった。
1993年に相棒のマルと【博多オブリガード】を創設して、Jリーグ誘致の署名運動から始めた時から、オヤジさんなのに我々の兄貴みたいな存在だった。
自分自身も息子のように可愛がってくれた。最近ではヒューゴまで遊んでもらっていた。
マルが仕事で東京に行った後も、オヤジさんは息子マルの分までいつもアビスパを応援していて、A席の上段から飲んだ後のビールの紙コップの底をくり抜いてメガホン代わりにして、いつもアビスパに激を飛ばしていた。
そんなマルのオヤジさんが昨年の10月に「俺は今日が博多の森最後かもしれない…。明日から入院するから。。。」と言った時は本当にショックだった。
「またA席の上からアビスパに激を飛ばしてくださいよ!」と言うのが自分の精一杯の言葉だった。
「ケイゴ、記念に一緒に写真撮ろう!」と言われて、すごく複雑だった。
「ホーム最終戦には帰ってくるから!」と約束したけど、それも叶わず一昨日静かに逝ってしまった。
昨日と今日で仲間たちとお見送りしてきました。
棺の中にアビスパのマフラーなども入れられて、マルのオヤジさんのアビスパに対する愛と思いが伝わってきた。
アビスパの歴史の中で一番どうしようもない時期に逝ってしまったので、マルのオヤジさんとしては志半ばだったと思う。
時間は掛かるかもしれないけど、必ず墓前でアビスパの良い報告をしたいと思います。
マルのオヤジさん、お疲れ様でした。安らかにお眠りください。
La博多の森A席の名物オヤジだった。
1993年に相棒のマルと【博多オブリガード】を創設して、Jリーグ誘致の署名運動から始めた時から、オヤジさんなのに我々の兄貴みたいな存在だった。
自分自身も息子のように可愛がってくれた。最近ではヒューゴまで遊んでもらっていた。
マルが仕事で東京に行った後も、オヤジさんは息子マルの分までいつもアビスパを応援していて、A席の上段から飲んだ後のビールの紙コップの底をくり抜いてメガホン代わりにして、いつもアビスパに激を飛ばしていた。
そんなマルのオヤジさんが昨年の10月に「俺は今日が博多の森最後かもしれない…。明日から入院するから。。。」と言った時は本当にショックだった。
「またA席の上からアビスパに激を飛ばしてくださいよ!」と言うのが自分の精一杯の言葉だった。
「ケイゴ、記念に一緒に写真撮ろう!」と言われて、すごく複雑だった。
「ホーム最終戦には帰ってくるから!」と約束したけど、それも叶わず一昨日静かに逝ってしまった。
昨日と今日で仲間たちとお見送りしてきました。
棺の中にアビスパのマフラーなども入れられて、マルのオヤジさんのアビスパに対する愛と思いが伝わってきた。
アビスパの歴史の中で一番どうしようもない時期に逝ってしまったので、マルのオヤジさんとしては志半ばだったと思う。
時間は掛かるかもしれないけど、必ず墓前でアビスパの良い報告をしたいと思います。
マルのオヤジさん、お疲れ様でした。安らかにお眠りください。
Posted by KEIGO YAMAMAOTO at 14:03
│ULTRA OBRI/ウルトラオブリ